人身事故の被害者家族になるということ
喪主の仕事・・・・
これから、喪主としての仕事を紹介します。
喪主には大事な仕事が4つあります。
- 葬儀全体の監督
- 様々な場面での挨拶
- お寺や寺院、お坊さんへの連絡
- 葬儀社の手配
以上のように、大きく分けて4つの仕事があります。
では一つ一つ説明します。
順番が前後しますが、私が経験した時系列でお伝えします。
亡くなるということ
喪主のお話をする前に、時系列がわかっていただけるように、ここまでの過程を説明しますね。
父親は、初夏に差し掛かる頃、夜空を楽しむように21時前の散歩をしていました。
信号が変わり、横断歩道を歩き出し、中央分離帯を超えたあたりで車に跳ねられ、頭部を強打し、翌日早朝5時過ぎにこの世を去りました。
事故直後、救急隊の判断で、私の携帯に父親の携帯を使って連絡が入りました。
救急隊の方は母親にも連絡したそうですが、勤め先の仕事の関係上、電話に出ることが困難な為、繋がらなかったのでしょう。私はマイカーに妻を乗せ、母親の勤務先に迎えに行き、病院に駆けつけ、警察の方々の事故内容の説明や、病院側からの病状説明を聞きました。
右側通行している親父の左後部から、右折レーンから進んで来た車両と衝突し、足元をすくわれた状態になり、車のフロントガラスの窓枠の硬いところに頭部が当たったのでしょうか、かなりの衝撃だったと推測されます。
私が受けた救急隊からの電話と病院での検査の結果、頭部にかなりのダメージを負っており、瞳孔の反応もなく、先生の判断では、このまま開頭手術を施しても何の手立てもできないという結果でした。
そのあと、東京にいる姉弟に連絡し、姉は朝イチの新幹線でこちらに向かうと言ってくれ、弟は仕事の関係上、どうしても2日後にしか来れないといいます。
しばらく待っていると、父親と面会ができました。
処置室で見ましたが、挿管チューブが入っている状態の父親でした。
機械で空気を送られ、無理やり呼吸をやらされ、体のあちこちに傷もあり、言葉になりませんでした。
ぐ〜んと鳴り響く呼吸器の機械の音が、とても虚しかったです。
その夜はかなりの忙しさと共に、父親のこれからのことを先生のIC(インフォームドコンセント:治療方針など)を聞きました。
それは、現在の状態を維持することだけを願い、喉元を切開した上で人工心肺装置を装着し少しでも長く生存させるのか、何もせず挿管チューブからの呼吸器だけで父親の生存力のみに掛けるのか、または肥大している脳を少しでも抑えるための投薬治療を施しながら挿管チューブで呼吸を促すのか、夜中の0時過ぎに決断を下さなければなりませんでした。
事故でかなりの衝撃を負っているのに、さらに切らないといけないことに抵抗を覚え、少しでも痛くないようにしてあげたいと考え、投薬治療を選択しました。
私の中では、姉と弟には父親の命あるうちに一眼見て欲しいと考えており、父親の様態や生命力にかけるしかないと模索していたのを覚えています。が、しかし、姉弟が間に合うことはなく、翌日の早朝5時すぎにこの世を後にしました。
事故から9時間、親父はよく闘ったと思います。
早朝5時20分に他界しました。
享年75歳。
75年と8ヶ月少しの父親の人生でした。
ここから、私の喪主としての始まりです。